名古屋にある晴明神社
マンガや小説などで有名?になった陰陽師・安部晴明。晴明ゆかりの場所は京都や大阪が中心でしょうが実は名古屋にもあったんだな!

☆☆☆ここですゾ☆☆☆
場所はナゴヤドームのすぐ近く。周辺は住宅地で神社の隣は県営住宅!神社はちっちゃいです。987(寛和2)年、晴明は尾張国狩津荘上野邑に移り住んだそうで一説には流されたとも…それまでこのあたりはマムシが多く村人が困っていたため、晴明はその力によってマムシを封じたそうです。そんなこともするんだ陰陽師って!?あと雑草退治もしたとかどーとか。除草剤いらないよスゴイ!

不届きモノもいるのか?監視カメラまである〜〜

五芒星があちこちに☆
ここでちょっとコワイ話しを(^^;)
今はきれいに整備され丁寧に祭られていますが、かつては祠しかありませんでした。明治〜昭和の戦前にかけてここらは(清明山という地名です)陸軍用地だったそうです。で、演習するにあたりその祠が邪魔なため移動したり塚の一部を破壊したところ…兵士の中で原因不明の高熱にやられた者が出たそうな。お約束の祟り発動です。その後、塚を元の通りに戻し浄めて祭り直したら病気がウソのように快癒したとか。
時は流れ戦後。県営清明山団地を建設することになり、塚を壊し祠も移動してしまったところ工事中に突然足場が崩れ、作業員が亡くなる事故が2回連続で起きたそうです。またもお約束の祟り発動ですもはや様式美!地中を掘ると石碑が見つかり、和紙で拓本すると"安倍晴明"という文字が浮かび上がったとか。そしてきちんとお祓いの後は事故もなく県営住宅は無事完成したそうです。
その後この話しを聞いた入居人がちゃんとお祭りをしようと1957年9月に再興晴明神社建設発起人会が発足し、翌年お社が完成し愛知県神社庁に登録されたのが現社殿だそうな。(最近新たに改築)
晴明さんの祟りも強烈ね!
さすが陰陽師だ…平将門さんと似たような逸話ですわ…
ここから少し離れたところにある上野天満宮も晴明に関わりある所ですが、また機会があれば行ってみたいです。

☆☆☆ここですゾ☆☆☆
場所はナゴヤドームのすぐ近く。周辺は住宅地で神社の隣は県営住宅!神社はちっちゃいです。987(寛和2)年、晴明は尾張国狩津荘上野邑に移り住んだそうで一説には流されたとも…それまでこのあたりはマムシが多く村人が困っていたため、晴明はその力によってマムシを封じたそうです。そんなこともするんだ陰陽師って!?あと雑草退治もしたとかどーとか。除草剤いらないよスゴイ!

不届きモノもいるのか?監視カメラまである〜〜

五芒星があちこちに☆
ここでちょっとコワイ話しを(^^;)
今はきれいに整備され丁寧に祭られていますが、かつては祠しかありませんでした。明治〜昭和の戦前にかけてここらは(清明山という地名です)陸軍用地だったそうです。で、演習するにあたりその祠が邪魔なため移動したり塚の一部を破壊したところ…兵士の中で原因不明の高熱にやられた者が出たそうな。お約束の祟り発動です。その後、塚を元の通りに戻し浄めて祭り直したら病気がウソのように快癒したとか。
時は流れ戦後。県営清明山団地を建設することになり、塚を壊し祠も移動してしまったところ工事中に突然足場が崩れ、作業員が亡くなる事故が2回連続で起きたそうです。またもお約束の祟り発動ですもはや様式美!地中を掘ると石碑が見つかり、和紙で拓本すると"安倍晴明"という文字が浮かび上がったとか。そしてきちんとお祓いの後は事故もなく県営住宅は無事完成したそうです。
その後この話しを聞いた入居人がちゃんとお祭りをしようと1957年9月に再興晴明神社建設発起人会が発足し、翌年お社が完成し愛知県神社庁に登録されたのが現社殿だそうな。(最近新たに改築)
晴明さんの祟りも強烈ね!
さすが陰陽師だ…平将門さんと似たような逸話ですわ…
ここから少し離れたところにある上野天満宮も晴明に関わりある所ですが、また機会があれば行ってみたいです。
尾張旭市の歴史いろいろ・その4
はい、ラスト第4弾♪
庄中観音堂からまたしばらく歩いて着いたのが直会(なおらい)神社。

こじんまりした神社ですが、ここも由緒あるところ。

本殿です。天武天皇の悠紀斎田の直会殿として、斎庭連(いんばのむらじ)が造ったそうです。直会って何なのか調べてみたら、神事の最後に神事に参加した者たちがお神酒や神餞を頂く(宴会ですな)行事なんだとか。渋川神社で神事やった後ここで宴会したんでしょうかね。
ところでその後、腫れ物や吹き出物などが"なおる"と信じられ、お祭りの時には遠くからでも大勢の参拝客が訪れたそうです。思うところあって、よっっっくお参りしておきました(-人-)お祈りが無事届きますように…!

こちらに詳しく書いてあります。

地図のアップ。
直会神社ではちょっと昔までは祭りの日には露店も並んで大変な賑わいだったそうだけど、今ではもうそんな面影もないとのこと。さびしい限りであります。。。
ぽちぽち歩いて…お次はこちら。

つんぼ石。区画整理でつい最近お引っ越ししてしまい、今はわかりにくいところにひっそりとあります。

つんぼ石の由来。ここに書かれてる大名は加藤清正かもしれません!?本地ケ原神社の黒石も一説にはここの由来と同じ逸話があり、そっちも加藤清正が絡んでるとか。ホントだったら面白いですなあ〜!で、ここのつんぼ石にお参りすると耳が聞こえるようになるそうです。本地ケ原神社の黒石と同じ!
最後に一里塚をば。

一里とは約4キロの距離のこと。この石碑は戦前のものです。

説明だよ☆
一里塚は当時の人々の旅の目印でした。一日、どれくらいの距離で歩いたのかなあ?
というワケで今回はここまで。また機会があったら他の場所も探索したいですネ(^ω^)
庄中観音堂からまたしばらく歩いて着いたのが直会(なおらい)神社。

こじんまりした神社ですが、ここも由緒あるところ。

本殿です。天武天皇の悠紀斎田の直会殿として、斎庭連(いんばのむらじ)が造ったそうです。直会って何なのか調べてみたら、神事の最後に神事に参加した者たちがお神酒や神餞を頂く(宴会ですな)行事なんだとか。渋川神社で神事やった後ここで宴会したんでしょうかね。
ところでその後、腫れ物や吹き出物などが"なおる"と信じられ、お祭りの時には遠くからでも大勢の参拝客が訪れたそうです。思うところあって、よっっっくお参りしておきました(-人-)お祈りが無事届きますように…!

こちらに詳しく書いてあります。

地図のアップ。
直会神社ではちょっと昔までは祭りの日には露店も並んで大変な賑わいだったそうだけど、今ではもうそんな面影もないとのこと。さびしい限りであります。。。
ぽちぽち歩いて…お次はこちら。

つんぼ石。区画整理でつい最近お引っ越ししてしまい、今はわかりにくいところにひっそりとあります。

つんぼ石の由来。ここに書かれてる大名は加藤清正かもしれません!?本地ケ原神社の黒石も一説にはここの由来と同じ逸話があり、そっちも加藤清正が絡んでるとか。ホントだったら面白いですなあ〜!で、ここのつんぼ石にお参りすると耳が聞こえるようになるそうです。本地ケ原神社の黒石と同じ!
最後に一里塚をば。

一里とは約4キロの距離のこと。この石碑は戦前のものです。

説明だよ☆
一里塚は当時の人々の旅の目印でした。一日、どれくらいの距離で歩いたのかなあ?
というワケで今回はここまで。また機会があったら他の場所も探索したいですネ(^ω^)
尾張旭市の歴史いろいろ・その3
第三弾♪時代は古代へと遡ってみます。

瀬戸街道に面した所にある渋川神社。古〜い歴史持つ由緒正しきとこ。天武五年(676)の大嘗祭・新嘗祭(新米新粟などを神様にささげる祭り)のための斎忌(悠紀)斎田(ゆきさいでんと読む)が占いにより尾張国山田郡に決められたと日本書紀に書かれています。それがここ。

石碑どーん!昔はここは田んぼだらけだったんでしょうね〜〜。今では周辺は住宅地…

本殿。ここも新築ピッカピカ☆実は渋川さんは何年か前に火事で焼失しています。放火らしいですがバチ当りもんだ!同伴した友人ちでは氏子の一人として、再建に寄付したそうな。氏子さんらの協力のおかげで見事に復活!

ここが焼失前の神殿のあったとこ。新しい神殿は少しずらして建て直したんですね。

遺跡のご案内。今度は燃えたりしないように(-人-)
神社を出てまたテクテクと歩きます。
次に行ったのは庄中観音堂。

ちっちゃなお堂です。

ここにはなんと円空仏が5体もある…!大胆な彫りが独特の雰囲気持つ円空仏は好きなんだな〜〜ただしお堂の中を覗いてもよくわかりませんでした(TωT)仕舞ってある?
ご近所は福祉センターになってました。以前は小学校だったそう。大きな楠がどんっとありましたが、樹勢が衰えたのか枝切ったからか友人には小さく見えた?そうです。これからも頑張って残ってほしいですねえ。。。!
次でラストだよ〜(^ω^)

瀬戸街道に面した所にある渋川神社。古〜い歴史持つ由緒正しきとこ。天武五年(676)の大嘗祭・新嘗祭(新米新粟などを神様にささげる祭り)のための斎忌(悠紀)斎田(ゆきさいでんと読む)が占いにより尾張国山田郡に決められたと日本書紀に書かれています。それがここ。

石碑どーん!昔はここは田んぼだらけだったんでしょうね〜〜。今では周辺は住宅地…

本殿。ここも新築ピッカピカ☆実は渋川さんは何年か前に火事で焼失しています。放火らしいですがバチ当りもんだ!同伴した友人ちでは氏子の一人として、再建に寄付したそうな。氏子さんらの協力のおかげで見事に復活!

ここが焼失前の神殿のあったとこ。新しい神殿は少しずらして建て直したんですね。

遺跡のご案内。今度は燃えたりしないように(-人-)
神社を出てまたテクテクと歩きます。
次に行ったのは庄中観音堂。

ちっちゃなお堂です。

ここにはなんと円空仏が5体もある…!大胆な彫りが独特の雰囲気持つ円空仏は好きなんだな〜〜ただしお堂の中を覗いてもよくわかりませんでした(TωT)仕舞ってある?
ご近所は福祉センターになってました。以前は小学校だったそう。大きな楠がどんっとありましたが、樹勢が衰えたのか枝切ったからか友人には小さく見えた?そうです。これからも頑張って残ってほしいですねえ。。。!
次でラストだよ〜(^ω^)
尾張旭市の歴史いろいろ・その2
歴史を巡る第二弾〜(^ω^)
小牧・長久手の戦いで尾張旭も戦場になりましたが、とばっちりくらった所がありました。次に向かった所がここ↓

良福寺。戦火にあい焼失するうきめにあったとか。どっちの軍にやられたんでしょう?

ここの山門は戦で荒廃した寺を、その後再興した時に清洲城の裏門の一つを移築したものだそうです。現在、市指定文化財。

詳しくはこの看板読んでね♪

山門の天井に張ってあったお札。魔除け?

こちらは本堂。ここもペカペカの新築だ…
そんな本堂奥の場所にはでっかい弘法様がいらっしゃいました!うわ〜〜何mあるんだろう?

ちょっとリアルでコワイ…
実は尾張旭にはこんなおっきな弘法様が他にもあるんです。
↓こちら。写真が小さくて申し訳ない〜

どどーん
下から見上げて撮ってます。こっちは新居の大弘法といい、場所によっては小山のてっぺんからその姿が垣間見えます。作者はB級スポットとして最近脚光浴びた?五色園の仏像作った人と同じ!
五色園のサイトはこちら
http://goshikie.hp.infoseek.co.jp/
尾張旭の弘法様も迫力あるので、こっちも見に来てね(^ω^)
まだ続く。
小牧・長久手の戦いで尾張旭も戦場になりましたが、とばっちりくらった所がありました。次に向かった所がここ↓

良福寺。戦火にあい焼失するうきめにあったとか。どっちの軍にやられたんでしょう?

ここの山門は戦で荒廃した寺を、その後再興した時に清洲城の裏門の一つを移築したものだそうです。現在、市指定文化財。

詳しくはこの看板読んでね♪

山門の天井に張ってあったお札。魔除け?

こちらは本堂。ここもペカペカの新築だ…
そんな本堂奥の場所にはでっかい弘法様がいらっしゃいました!うわ〜〜何mあるんだろう?

ちょっとリアルでコワイ…
実は尾張旭にはこんなおっきな弘法様が他にもあるんです。
↓こちら。写真が小さくて申し訳ない〜

どどーん
下から見上げて撮ってます。こっちは新居の大弘法といい、場所によっては小山のてっぺんからその姿が垣間見えます。作者はB級スポットとして最近脚光浴びた?五色園の仏像作った人と同じ!
五色園のサイトはこちら
http://goshikie.hp.infoseek.co.jp/
尾張旭の弘法様も迫力あるので、こっちも見に来てね(^ω^)
まだ続く。
尾張旭市の歴史いろいろ・その1
もうずいぶん時がたちますが、かつて尾張旭市という町に住んでました。名古屋市の東に位置し、瀬戸市に挟まれたベットタウン。今でもここへはちょくちょく遊びに行ってますが、この都市名聞いても知らないという人が多かったなあ…しくしく。
さてそんな尾張旭市のすぐ近くには長久手町があります。長久手といえばモリゾーキッコロ…じゃなく!!小牧・長久手の合戦(家康と秀吉とのガチンコ対決)で有名であります。戦国時代はあまり詳しくないんですが先日この合戦場であった地を尋ね資料館見てお勉強。合戦跡は現代では公園になっており、周辺は宅地化で住宅みっしり。つわものどもがゆめのあと〜でありました。
その長久手の合戦。実は前哨戦ともいうべき戦いが尾張旭市でもあった!とわかり(地元民の友人も初めて知った)これはカケラでもいいから歴史探訪すべきじゃね!?と結託。
いざいざ出陣なるぞ〜!!
↓長久手の合戦について詳しくはこっちドーゾ
http://nagakute-kankou.way-nifty.com/history/
小牧市から長久手へ南下すると途中名古屋や尾張旭通るんだよね。今さらながら歴史実感。そして昔の人の健脚頑丈さに脱帽!
尾張旭市で起こった合戦は「白山林の戦い」といい、三好秀次(秀吉の甥で後の豊臣秀次)が家康軍の奇襲を受けあやうく死にそうになったとこだそう。
↓詳しくはこちら
http://www.geocities.jp/moriyamamyhometown/moris14.htm
第一陣の探訪はここへ。白山林の戦いの舞台にある本地ヶ原神社。


なんとペカペカ☆建て替えた?
合戦の舞台になった地は小高い丘陵地で、昔はこんもりした林だらけのところだったそう。今ではここも住宅みっちり。私が尾張旭にいた時にはもうすっかり宅地化してたので、あそこは見晴らし良いな〜〜だったけど合戦場だったんだ…!奇襲受けた秀次の軍は多くの犠牲者出したそうです(-人-)

白山林の戦いの説明書き。見にくくてごめん!

神社の由来。ずいぶん古い歴史あるところ。
実は本地ヶ原神社には他にも面白いものが。
それは天狗のかかと岩!

これよこれ!穴開いてるね〜〜

天狗のかかと岩の伝承。
ホントは古墳の天井石?らしいですね。

本殿横にある3つの神殿。右は兜神社で白山林の戦いで亡くなった人を祭ってるそうな。一番左にはかかと岩と同じような黒い石がありますね。これも黒石という別の古墳から持ってきたそう。その右隣の神社は黒石大明神、ここの神様はお参りすると耳がよく聞こえるようになるそうです。
まだまだ探索は続く!!
さてそんな尾張旭市のすぐ近くには長久手町があります。長久手といえばモリゾーキッコロ…じゃなく!!小牧・長久手の合戦(家康と秀吉とのガチンコ対決)で有名であります。戦国時代はあまり詳しくないんですが先日この合戦場であった地を尋ね資料館見てお勉強。合戦跡は現代では公園になっており、周辺は宅地化で住宅みっしり。つわものどもがゆめのあと〜でありました。
その長久手の合戦。実は前哨戦ともいうべき戦いが尾張旭市でもあった!とわかり(地元民の友人も初めて知った)これはカケラでもいいから歴史探訪すべきじゃね!?と結託。
いざいざ出陣なるぞ〜!!
↓長久手の合戦について詳しくはこっちドーゾ
http://nagakute-kankou.way-nifty.com/history/
小牧市から長久手へ南下すると途中名古屋や尾張旭通るんだよね。今さらながら歴史実感。そして昔の人の健脚頑丈さに脱帽!
尾張旭市で起こった合戦は「白山林の戦い」といい、三好秀次(秀吉の甥で後の豊臣秀次)が家康軍の奇襲を受けあやうく死にそうになったとこだそう。
↓詳しくはこちら
http://www.geocities.jp/moriyamamyhometown/moris14.htm
第一陣の探訪はここへ。白山林の戦いの舞台にある本地ヶ原神社。


なんとペカペカ☆建て替えた?
合戦の舞台になった地は小高い丘陵地で、昔はこんもりした林だらけのところだったそう。今ではここも住宅みっちり。私が尾張旭にいた時にはもうすっかり宅地化してたので、あそこは見晴らし良いな〜〜だったけど合戦場だったんだ…!奇襲受けた秀次の軍は多くの犠牲者出したそうです(-人-)

白山林の戦いの説明書き。見にくくてごめん!

神社の由来。ずいぶん古い歴史あるところ。
実は本地ヶ原神社には他にも面白いものが。
それは天狗のかかと岩!

これよこれ!穴開いてるね〜〜

天狗のかかと岩の伝承。
ホントは古墳の天井石?らしいですね。

本殿横にある3つの神殿。右は兜神社で白山林の戦いで亡くなった人を祭ってるそうな。一番左にはかかと岩と同じような黒い石がありますね。これも黒石という別の古墳から持ってきたそう。その右隣の神社は黒石大明神、ここの神様はお参りすると耳がよく聞こえるようになるそうです。
まだまだ探索は続く!!


