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般若心経マスターバイブル前篇第5章
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質問させていただきます。有為という大日空王主に逆らうものがこの世にはあります。私は人の有為存在に疑問をもちます。なぜ主が作った
ものが、主に逆らうのでしょうか? それは 複雑にすることにより、聖なる遊戯がより楽しい ものになる、即ち有為存在も主が作られたのか?それとも、失礼な言葉ですが、「失敗」 なのか、どっちだと思われますか?? ★★あおみです。神はなぜ人の有為や悪をお造りになったのか?というご質問ですね。 この問題は、人間の「自由意志の問題」として扱われます。 神は、人間に一定範囲内の自由意志をお与えになりました。 なぜでしょうか? 愛と強制は両立しません。従って「愛」の前提として自由意志が尊重されることが必要になります。その自由意志により人が神を選択して愛する時にこそ、真の愛の関係が成立します。 しかし、思考力と自由意志を与えると、選択の自由があるために、「悪」を選択することもできるようになります。 神は、一旦、人間に自由意志を与えた以上、それを簡単に人間から奪回することはありません。 それゆえ、人間が自由意志を悪用して地上世界を混乱と苦厄に満ちたものにしようとも、「じっと耐えておられる」わけです。あるいは、因果応報というタイムラグがあっての罰に苦しむ体験により叡智を得させるという長い眼で人間を育てているのです。 神は、因果律を前提にしつつ、ひたすら「恩寵」を与え、人の魂を成長させ、神の恩寵がどれほど深いか、人間に理解させるように育てて行きます。そうして、それに気付いた人の魂は、そのあまりの神から受けた恩の深さに感動して、神に対して「愛と感謝の感情」を抱くに到ります。 そうして、その恩に報いるように、神との関係を緊密してして行き、神を愛し、「神と一体化すること」を望むようになります。 「神との一体化」には徐々に近づいて行きますが、それは強制ではなく、本人の自由意志による選択です。 従って、ピラミッド型の▲を書き、「人の自由意志」というタイトルをつけるならば、下部に行くほど、人の自由意志の範囲は大きくなりますが、上部に行くほど、つまり、神との愛の一体化を望む人ほど、自分自身の意思よりも神のご意志を優先して尊ぶようになりますから、その分、自分の自由意志の範囲を自発的に狭めて行くことになります。あるいは、神のご意志と自分の意思を融合させて行くので、自分固有の自由意思の範囲が狭まって行く・・・という表現もできるでしょう。 このようにして、人は自分の中の有為を徐々に超越して、無為の素晴らしさの中に入って行きます。
【2005/09/04 21:27】
URL | 碧海 #-[ 編集]
教えという最もの慈悲をいつもありがとうございます。 私は本当に幸いであります。人間界という穢れと不完全な世界からはなれ、菩提心が
生まれたたからです。 ![]() |
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